令和6年度姫神祭が開催されました!

7月28日(日)に姫神祭が開催されました。

姫神祭の歴史…
『大昔に土佐にいた女性が国司の男性と恋をし、京都へ戻った男性を迎えに行こうと船で牟岐大島辺りを通りました。すると嵐がおき、「女性が乗船したので嵐になった」として大島に降ろされました。船に見捨てられたのを悲観した女性は身を投げて自殺しますが、飛び込んだ場所に男性のシンボルそっくりの奇岩が立ち上がり、船員たちはこれに驚き、女性の霊を慰めようと祠を建てたそう。』(牟岐町観光協会HPより)

歴史あるこのお祭りは、八幡神社にて行われる神事から始まります。
豊漁、船の安全祈願、安産祈願が行われます。

10時からは、姫神子供みこしパレードが行われました。
八幡神社を出発し、大川橋を渡り、牟岐町役場に到着しました。

途中、町民の方々から「ご苦労様です」とお声掛けをいただいたり、椅子を出してくれたり、お気遣いいただきました。そこから西の町の中を歩き、泉源へ。

町の中で男性のシンボルの形をした大きな御神体が移動していく様子はまさに「奇しい」ものでした!

14:00からの海上パレードでは、これを目当てに徳島市や大阪、東京、岩手などから人が訪れ、外国出身の方々も見られました。

徳島市から来られた方は、「大島に行くまでに船の運転手さんが断層について説明してくれたり、室戸岬が見えることを教えてくれたり、本当に最高だった!また来たい!」と、興奮気味に伝えてくれました。

東京から来られた方々は、「生殖器を祀るお祭りが地元の愛知県にあって、全国のそういうお祭りを調べていました。御神体を船に乗せるのは他には見られないもの!来てよかったです。」と、姫神祭を堪能されていました。

アメリカ出身の方は、「正直混乱した。西洋の文化では生殖器を公共の場に出すのはフェイクであってもタブーなこと。しかし、僕は人として当たり前にあって、大切にすべきものだと思うから、このようなお祭りはかっこいいと思った。アメリカにはないものが見えて牟岐に来た甲斐があった。」と、日本の文化を体験した感想を語ってくれました。

余談ですが、X(旧Twitter)でバズっていた「かつおのたたき岩」も見てきました。

姫神市では、子供たちや親子連れなどがキッチンカーや屋台を楽しみました。
牟岐町商工会青年部が中心となって販売したミニハンバーグ、フランクフルト、イカ串はすべて破格の¥250!そのほかにも、スムージーやチュロス、くじ引きなどがありました。

18:00からは去年に引き続き、「牟岐スカパラオーケストラ」の演奏がありました。牟岐の若者が中心となり、大阪や東京、長野からも参加したいと仲間たちも駆けつけてくれました!なかなか予定が合わず、前日になりやっと集まって練習ができましたが、ハラハラドキドキ。この切羽詰まりながらも楽しんで演奏する様子が青春という感じがします。

カバー曲に加え、牟岐町で生まれ育った中山拓真さんが、町の姿を歌にした一曲も披露され、いろんな人の想いが重なった演奏になりました。
東京から牟岐を訪れ、滞在している高橋郷さんは「ここに来て、いい意味で経済的主義すぎず、『人間が生きている』ということをまず感じました。そして、町の人たちが町を作っているという感覚を持ちました。」と、言います。
また、練習風景について、「当たり前の日常が全て映画のワンシーンみたいで、『もう本番は明日じゃん!やべー』『明日だけどやろう!』という様子を見て、心に正直な人たちが集まっていて、面白い町だと思いました。」と、言ってくれました。

地元の阿波踊り連の皆さんの演奏と踊りを楽しもうと多くの人が集まってきました。
やはり阿波踊りが徳島の夏を盛り上げますね!!

20:00からは牟岐港で約700発の花火が打ち上げられました!
快晴の夜空に打ちあがった迫力満点の花火を見て、歓声が上がり、終了後には拍手が沸き起こりました。「これまで徳島で見た花火の中で一番綺麗だった」という声も聞こえました。いつもの牟岐の静けさも良いですが、このように人が集まって、話し声が絶えない夜もまた素敵だなと感じました。

↑牟岐スカパラオーケストラの仲間である田口暦さんが撮影

ライター:地域おこし協力隊 真武未有

星愛七夕まつりに参加しました~大阪公立大学松本ゼミレポート~

2024年7月7日(日)の七夕の日に、星愛七夕まつりが大阪天満宮で開催されました。星愛七夕まつりは、毎年7月7日に大阪天満宮で行われる祭りで、天満天神七夕祭に合わせて開催されます。この祭りは、大阪の夏の風物詩として、また天神祭のプロローグとして定着しています。

この盛大な祭りに合わせて、天神橋筋商店街 3 丁目のおかげ館にて、星愛七夕祭りコラボイベントを実施しました。天神橋筋商店街3丁目と連携した企画は、昨年に引き続き二度目でしたが、牟岐町ゆかりの方々をはじめ、多くの人に足を運んでいただき、充実したものとなりました。

物産品販売

おかげ館の店頭で、牟岐町の関係者と大阪公立大学経済学部松本ゼミの学生が協力して牟岐町の特産品の販売を行いました。物産品販売では、スーパーフードであるモリンガのハーブティー、勝浦の花かつお、実生ゆずのジャムなど、大阪では珍しい魅力的な商品が販売されました。
実際に多くの方々が足を運んでくださり、中には、JAかいふ牟岐女性部の方々の娘さんやお孫さんも来られていて、牟岐二世、三世との繋がりをこのイベントで感じることができました。

メインイベント!!「押し寿司体験」

今年度も企画のメインイベントとして「押し寿司体験」が開催されました。牟岐町の押し寿司は2022年度に、文化庁による「100年フード『伝統~江戸時代から続く郷土料理』部門」に認定されています。
おかげ館において、牟岐町ゆかりの方々をはじめ、多くの方々に参加していただきました。木製の型に実生ゆずの酢飯や具材を詰めて押し寿司を作りました。牟岐町ゆかりの方々をはじめ、参加者のみなさまには喜んでいただけた様子で、会場内は活気と実生ゆずの香りに満ちた和やかな雰囲気となりました。参加者からは「押すのが難しかった」といった感想や、「食べるのが楽しみ」といった声が聞かれました。
このイベントを通じて、多くの方々に牟岐町の魅力を知っていただき、牟岐町や徳島県出身者には故郷を思い出してもらうきっかけとなったのではないかと思います。

「わがまち牟岐町こころ旅」のインタビュー取材

牟岐町では、「人生を変えた忘れられない風景」「大切な人との思い出の場所」「こころに刻まれた音や香りの情景」「ずっと残したいふるさとの風景」などを、牟岐町ゆかりの方々に伺い、牟岐町の情報発信媒体(web、紙媒体)で掲載を行っています。そこで、今回の牟岐町七夕祭りに来場していただいた方々に、松本ゼミがインタビュー取材をさせていただきました。インタビューでは、小学校時代に西浦にある大谷避難広場でキャッチボールやゲームをして遊んだり、砂美の浜でお弁当を作って家族とピクニックした思い出を、懐かしそうに、そしてとても嬉しそうに話してくださっていたのが、とても印象的でした。

「牟岐町七夕祭り」を終えて

今回のイベントでは、牟岐町ゆかりの方々をはじめ、たくさんの方々にご来場いただきました。ご来場いただいた皆様に心から感謝申し上げます。

大阪公立大学松本ゼミは、牟岐町からは離れた場所に住んでいますが、牟岐町と牟岐町外の方々とを「繋ぐ」取り組みを、今後も精一杯行っていきたいと考えています。

今後とも、よろしくお願いいたします。

経済的な豊かさではない豊かさを -【牟岐町地域おこし協力隊】真武未有さん

今回お話を伺ったのは徳島市国府町出身の真武未有さん(またけみう/23歳)。徳島県四国大学在学中にカナダなどの海外での生活を約9ヶ月経験し、帰国後は無事に卒業。その後は牟岐町の地域おこし協力隊として2024年4月に移住をし、活動をはじめています。企業に就職などと選択肢の多い若者がなぜ牟岐町に移住をし、地域おこし協力隊として活動することを選んだのでしょうか?

大学在学中に海外へ

ー なぜ牟岐町に移住をしたのか?の前に真武さんの背景についてお伺いできればと思います。学生の時はどのような事を学ばれていたのでしょうか?

もともと海外に興味があり、四国大学では国際文化学科という学科で語学や文化について学んでいました。

 

ー なぜ海外に興味があったのでしょうか?

母親が私が小さい時から英語に触れさせたいという思いがあって。というのも母親は学生時代に英語が苦手だったこともあり、それを自分の娘には無くしてあげたいと考えていたみたいで。小学生の時から英語の塾にも通っていたんですけど、実はキツくて嫌だったんです。でもそれが後になって役に立って。学校の中でも英語が出来る方だったので、それが楽しくてより好きになっていき、自然と海外に興味を持ったのかなと思います。

 

ー それでは大学進学の際にはそうした海外文化が学べる環境や学科一択だったのでしょうか?

実は一択ではなくて。本当は食の事を学びたいとも考えていたため、調理に関する専門学校も候補としてありました。でもまわりの先生などに「大学行ってからなら専門学校は行けるけど、専門学校から大学に行くとなると難しくなる」といったアドバイスを受けたので、「そーなのかなー」なんて思いながら大学に行くことにしました。

 

ー それで卒業をしたら実際に海外に行こうと決めていたと。

子供の頃から海外はずっと興味があったんですけどなかなか行ける機会がなくて。それで大学在学中に休学などして最後一年はフリータイムのような期間があったんです。「今がチャンスかも」と思って大学在学中に海外に行くことを決めました。

 

ー どこの国に行かれたのでしょうか?

カナダとヨーロッパに行っていました。カナダはワーキングホリデーで半年、ヨーロッパはボランティア留学という形で3ヶ月ほど、いろんな国を転々としていました。

海外旅中の一コマ

「心地よい」と感じた『ひとつむぎ』

ー 今のところ牟岐町との関わりが全く見えてきませんが、どのあたりで牟岐町と関わり、知ることになるのでしょうか?

大学1年生の時に『NPO法人ひとつむぎ』のメンバーになって、そこから『シラタマ活動(ひとつむぎのプロジェクトのひとつ)』をしたり、2年3年生の時には食に関することや、関係人口のPR活動をしていました。

NPO法人ひとつむぎウェブサイト

NPO法人ひとつむぎ
徳島県南部にある牟岐町を拠点に、教育やまちづくりの支援を通じた地方創生を目指して活動するNPO法人。

ー なるほど、そもそも『ひとつむぎ』を知るキッカケはなんだったのでしょうか?

同級生の越智さんが同じ学科で、「教育に興味がある」って話をしていたら『ひとつむぎ』の事を教えてもらいまして。

「また牟岐に帰りたいな」 / NPO法人ひとつむぎ – 越智日和さん

 

ー 『ひとつむぎ』のどのあたりに興味を持ったのでしょうか?

実は当初は何をするのかもよく分かっていないまま参加してみたのですが、大学生が中学生に学びの場を提供していて、参加してみたらすごい雰囲気が良くて、「あ、ここ心地よいな」「ここは私の場所だ」って感じてすぐにメンバーとして活動するようになりました。

 

ー へぇ、初日からピンと来たのでしょうか?

そうですね、初日から楽しくて。だから次も行こう、次も行こうってなり、繰り返していたらいつの間にか牟岐に入り浸るようになっていました。

ー 入り浸るようにですか。現にその枠を越えて地域おこし協力隊になっていますしね。海外に一度行くとその広さと文化の違いに、感動や驚きを感じるかと思いますが、もっと海外に長く住んでいたいと感じたりはしなかったですか?

日本に居るときより努力しなければいけないことが多すぎて…生きるのに精一杯なところもあって、今は一先ず日本の方が良いなとは思っています。

 

ー 確かに海外では気が抜ける日は一日もありませんからね。どのあたりで牟岐町の地域おこし協力隊として働こうと決めていたのでしょうか?

う〜ん…確かカナダに行くか行かないかぐらいの時でした。当時就職活動をしていたんですが、働く自分がいまいち想像ができなくて。就職しようかどうしようと悩んでいましたが、一先ず就活をやり切ることにしました。お陰でいくつか内定を頂くことができました。それで就活のなかでキャリアプランについて書く機会があったのですが、私のキャリアプランは牟岐町と関わっていくことが重要かなと思って。それで牟岐町で働こうと決めました。

 

ー 牟岐町で働くとなると選択肢は多くはないですが、他にも選択肢はあったと思います。なぜ地域おこし協力隊を選択したのでしょうか?

大学時代に他の地域の協力隊として関わっている人が多くおり、そうした人を知っていたため自分が働いている姿が想像しやすかったからかなと思います。

 

ー なるほど。例えば役場に就職よりも自分が活動している姿を想像しやすかったということですね。もっと言うと、『ひとつむぎ』の活動の延長として考えることができたということですね。

そうですね。そういったイメージを持てたので地域おこし協力隊としてやってみることにしました。

 

ー 募集要項も『ひとつむぎ』でやって来ていたことと近いものがあったと。

はい。情報発信であったり、関係人口のサポートであったり。あと個人的な活動として、牟岐町観光協会で記事を書かせてもらったり、牟岐町の教育委員会へインターンをし、関係人口のPR動画を作ったりしたこともあったので、それの延長にあると感じました。

取材をしたのは2024年7月。牟岐町の地域おこし協力隊として活動をスタートし約3ヶ月が経ちました。まだはじまったばかりなのでハッキリとお伝えすべき活動は出来ていませんが、真武さんは情報発信や関係人口のサポートなどを徐々に進めていっている段階です。

経済的な豊かさではない豊かさを

ー 真武さんの学生時代からの社会活動とも言える”関係人口”について伺いたいと思います。なぜ牟岐町には学生たちが訪れ、そうした学生たちがなぜ関係人口となっていくと感じますか?

『牟岐キャリアサポート』を運営している大西さんの存在は大きいと思いますし…う〜ん…やっぱり大西さんですかね(笑)

 

大学生らの歪さや面白さを感じて触発された – NPO法人牟岐キャリアサポート 大西浩正さん

 

ー それって客観的に見るととても不思議な構図に思えるのですが…というのも、もちろん大西さんや行政などの団体がいてはじめて成り立つことではありますが、一度訪れた後にもう一度関わりたいと思える魅力が牟岐町にはあるということになりますよね。そこにはなにかがあると思うのですがそのあたりって言語化できますか?

一時期、東北の方に行っていた期間があったんです。その時徳島県から外に出たことで牟岐町の良さを改めて感じることが出来たのですが、それは私が牟岐町と関わることになった最初に感じた「心地よさ」なんじゃないかなと思っていて、そこが牟岐町の魅力なんだなと感じています。

 

ー なるほど。真武さんが感じる「心地良さ」はどこから来るものなのでしょうか?地域の人の良さとかでしょうか?

そうですね、地域の人もそうですし、役場で地域のために関わっている人たちもそうです。関係人口として牟岐町に関わる大学生たちもそうです。よそ者として扱われることもありませんし、変に気を使われることもなく、一度入ってきたら仲間だよねという感覚は牟岐町ならではなのかなと感じています。

 

ー 確かに牟岐町は移住者を受け入れてくれる姿勢が他の地域とは全く違うなと僕も感じます。

ー もともと真武さんも関係人口だったわけですが、関係人口から牟岐町民となり約3ヶ月経ちました。町民として実際に活動してみていかがでしょうか?

大学生の頃から関わってきて、実際に移住をしてみるとやっぱり見えてくるものが全く違ってくるなと感じています。関係人口として関わっていた時は「牟岐町賑わっているな」「変わってきているな」なんてことを感じていましたが、実際に住んでみると感じていた賑わいは一時的なものなんだなーと感じたり、一時的に賑わっていてもそれを知らない町の人たちも沢山いる。今はそうした人たちに牟岐の魅力を再発見してもらえるような活動もしていきたいなと考えているところです。

 

ー 今まで客観的に見ていたけど、主観的になった事で見え方が変わってきたという事ですね。ではそう感じたことに対し、今後はどういったアクションを取っていきたいと考えていますか?

希望を持って私はこの町に移住をしたのに、ネガティブなことを町民の方から聞く機会も増えました。それを聞くととても悲しい気持ちになるので、そうではない明るい情報を届けれたらと思っています。『広報むぎ』で私の事を知ってくれている方も多かったので、先ずはそういった媒体を使って届けることができたら良いなと感じています。私はずっと働き方に悩んでいたんですが、牟岐町の大人たちは活き活きと働いている印象を受けたことが多かったんです。地域のために頑張ろうとかそういった志を持って働いている印象が強くあったので、私も牟岐町で一緒に働きたいと思ったんです。

 

ー 実際に移住して住んでみたら、ネガティブな部分も見えてきたということですね。

海外に出ていたというのも大きな要因としてあるように感じます。今日本全体がズーンと重い雰囲気なので。海外にいる時の海外の人たちはパン!とすごく明るかったんです。なので牟岐町に限らず日本ももっと明るくなってほしいなといった思いもあるんです。

 

ー だからこそ、地方から日本を元気にという思いで地域おこし協力隊として活動を始めたということですね。

そうです。経済的な豊かさももちろん大切ですが、そうではない豊かさを海外では感じたので、牟岐町もそうした豊かさがもっとあっても良いのかなと感じています。

 

ー そうではない豊かさ?それはどういうことでしょう?

関係人口として牟岐町に訪れる人たちって経済の事よりも、単に人の良さに惹かれて牟岐町に訪れるんです。牟岐町で過ごした時間が豊かだったなって感じていて。そうした体験からもう一回牟岐に帰りたいなって思っている人がすごく多いんです。

 

ー なるほど。僕も少なからず海外在住経験があるので理解ができるのですが、例えばアルゼンチンはある時期経済破綻をしていましたし、それ以降は非常に不安定な経済の渦中にあると言えます。しかしその一方でアルゼンチンの人たちは自国が潰れそうにも関わらず、自国が潰れそうなことと自分の幸せはイコールではないと考えている様子がどこかあり、とても明るくポジティブな人たちが多い印象を僕は持っています。

そうなんです。私がデンマークに行った時まわりはアルゼンチン人ばかりで、なぜかみんな底抜けに明るくて(笑)。

 

ー 牟岐町にもそうした人の良さ、ポジティブさ、人生の豊かさを感じられる部分を持ち合わせていると真武さんは感じていて、それをもっと地域おこしに活かせれたら良いと思っているのが、牟岐町に移住して3ヶ月経った今ということですね。

地域活性化や地方創生などといった事をトピックとする時、経済活動はどうしても切っても切り離せませんし、経済に繋がる産業は非常に重要です。しかし、そうした経済活動や産業などの以前に、人間の本質とも言える人と人が繋がる社会形成やコミュニケーション、そして個人の豊かさの追求はつい蔑ろになってしまっているのではないかと、今回真武さんにインタビューをしたことで感じました。

もちろん地域活性化を語る上で、経済活動や産業は町の大きな財政となるのでそうした事を考えて実行していくことが大前提ではあると思いますが、違う側面である「人の豊かさ」で地域をおこしていくアプローチは、外から来た人だからできるアプローチであると同時に、牟岐町に限らず今の日本全体において非常に重要なことなのではないかと感じたインタビューとなりました。

また、明治時代の日本は脱藩したことで大きく時代が動くことになりましたが、それは令和になった今の日本でも変わらないと僕は感じています。真武さんのように一度脱藩してみることで、新しい何かが見えてくるのはごく自然なことであり、それが新しい動きとなることは歴史がすでに教えてくれています。真武さんの今後の活動に期待したいと思います。

 

星愛七夕祭りに参加しました!

7月7日(日)に大阪で行われた星愛七夕祭りに参加しました。
天神橋筋商店街三丁目にある天三おかげ館では、昨年に引き続き、大阪公立大学松本ゼミの学生の皆さんと協働し、牟岐の郷土料理である押し寿司の体験と物産販売を行いました。

牟岐ゆかりの方々や徳島県出身の方々の他、松本ゼミのOB、商店街を歩いていた親子やご老人など多くの方々が来られました。また、天神橋筋商店連合会の役員の方々もお忙しい中、応援に駆けつけてくれました。

牟岐の押し寿司は、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化であるとして、文化庁の「100年フード」に登録されています。JA徳島県牟岐女性部の皆さんによって押し寿司体験の準備が進められ、大きな寿司桶には、実生柚子の果汁をふんだんに使った酢飯が用意され、中に入れる具材や飾り用の具材が用意されました。

牟岐女性部の方々が先生となり、押し寿司の作り方を教えてくださりました。
中に入ると、実生柚子のフレッシュで爽やかな香りに驚く方がいらっしゃり、酢飯に柚子の果汁を使うことが一般的ではない大阪だからこそ、その文化をより強く感じていただけたのではないかと思います。
牟岐女性部に親戚がいるから来たという方は、「普段はおばあちゃんがしてくれる押し寿司を自分たちで体験できたのはすごく楽しかった」とおっしゃっていました。

はじめは牟岐女性部の方々が主となって教えていましたが、途中からゼミ生のみんなもやり方を教えられるようになりました。その様子を見て、牟岐の家庭や地域の中で牟岐の押し寿司が祖母から子へ、孫へ伝わり、100年フードとなったんだと感じました。

子供たちは初めての押し寿司づくりで、具材を中に入れて、可愛く飾りをつけて、ギューッと力を込め、出来上がった押し寿司を嬉しそうに持ち帰っていました。大阪出身の参加された方は「大阪のおばちゃんからしたらどれだけ見た目を派手にするかが大切やからな~」と、中の具材が見えないように酢飯を置くことに驚かれていました。

 物産販売では、勝浦花かつをの鰹節、泉源の干物、実生ゆず茶、ポンジュレゆう、今話題の牟岐茶を販売しました。特に鰹節は香りの高さと価格の安さが魅力的で、すぐに完売!押し寿司で使用した実生柚子の果汁を買って帰りたいという方も見られました。

物産販売や押し寿司体験を通して、「むぎって読むんやな~」「どこにあるん?」と興味を持ってくださる方が多く、牟岐町の存在を知っていただけただけでも嬉しく、意義のあることだと思いました。また、関西から牟岐町に関わっている人たちや商店街の方々と交流できる良い機会となりました。本当にありがとうございます。

次回は、8月25日(日)に天神橋筋商店街で開催される「天神天満阿波おどり」にも参加させていただく予定です。詳細はまたお知らせいたします!

牟岐町の好きな風景(牟岐中学校2年 久侑聖)

あいさつ・自己紹介

こんにちは。牟岐町立牟岐中学校2年の久 侑聖(ひさ ゆうせい)です。
今回、職業体験で牟岐町の好きな景色についての記事を作ってみました。
短めですが、最後まで読んでいただければうれしいです。

牟岐町の好きな風景

僕が好きな牟岐町の景色は、牟岐の大島・津島・出羽島が1度に見える景色です。
この景色は牟岐町の砂美の浜から、古牟岐港の間の道路で見られる景色で、
晴れている日の日中なら基本的にいつでも見ることができます。
今回撮った写真は曇り気味でしたが晴れているときは太陽の光が海できらきらと光っている景色も見ることができます。

(三枚の写真をうまくつなげるとこのようになりました。)

この景色が好きな理由

僕がこの景色を好きな理由は、一面に広がる海を横に見渡すと、3つの島が
浮かんでいるのが見えるからです。僕は休みの日に家族で散歩に行くことがあるけど、
歩いて行っている途中でこの景色を見ると、とても爽やかな気持ちになります。
だから、この景色を見に行くときはぜひ砂美の浜からは、歩いて見に行ってほしいと思います。

(木の間から島が見えている景色もきれいです。)

最後に

この他にも、千年サンゴや出羽島、町中の風景など、牟岐にはいい景色がたくさん
かくれています。僕は景色以外にも、牟岐には何気ないところに魅力が隠れている
と思っています。だから、皆さんにも自分だけの牟岐の魅力を発見していってほしいと思いました。最後まで読んでいただいてありがとうございました!

(写真を撮りに行く途中で見つけたキノコみたいなもの(1枚目)と古牟岐港にとめられている船(2枚目))。

東の町の風景(3、4、5、6枚目)。

英会話教室のピザパーティーに参加しました。 【地域おこし協力隊真武未有の牟岐日記vol.1】

牟岐町海の総合文化センターで毎週水曜日の19時30分から町民のために英会話教室が開かれています。牟岐町で外国語指導助手(ALT)として働かれているデイナー先生は、アメリカのロサンゼルス出身で、牟岐の小中学校で英語を教えて約1年が経ちました。

参加されている方々にお話を聞くと、幼いころから洋画に興味があったり、海外旅行が好きだったりと、海外に興味がある方が多く、英語を使いたい!という方が多いみたいです。また、牟岐町ボランティアガイド会の方も参加されていて、外国人向けに英語でのガイドができるように挑戦されているそう。

6月26日(水)は、デイナー先生の夏休み前の最後の集まりということで、地元の方々10名とデイナー先生でお遍路宿南天の石窯ピザをいただきました。南天の石窯ピザは牟岐町民や牟岐で活動している学生など、ローカルな隠れファンが多い美味しいピザです。店主の木内ミユキさんは普段はお遍路宿をされていて、日本人のお遍路さんだけでなく、海外からのお客さんを相手に日本語・英語・スペイン語で楽しくお話をされています。

MUGIZINE 木内ミユキさん→ https://studio.mugizine.jp/2019/10/31/post-11038/

ピザパーティーが始まると、デイナー先生の横で流暢な英語を喋られている方が…!
「かっこいい!どういう方なんだろう?」と疑問に思っていると、牟岐小学校に勤められている阿部先生でした。

実は「本当に先生なの?!」というのが最初の感想でした。というのも、私は徳島市で小学校、中学校、高校を過ごしてきたのですが、先生たちは英語を教えるプロフェッショナルではあるけれど、先生たちがALTの先生たちと雑談をしている姿を見た記憶がありませんでした。そのため失礼ながら、現地にいるかのようなノリとスピード感で英語を話す人が牟岐にいると思っていなかったし、さらに先生だということにも、本当に驚きました!

日本とは文化も言語も違う国で生まれ育ったALTの先生たちは、日本のライフスタイルやコミュニケーションに混乱したり、孤独感を感じるひともいると思います。しかし、阿部先生がいらっしゃるから、これまでのALTの先生たちが牟岐に馴染み、楽しく働き、ALTを終えた後もまた牟岐に帰ってきてくれる人がいるんだと思いました。

石窯で焼いためったに食べられない美味しいピザにみんなで興奮し、いろんな方々とお話をさせていただき、本当に楽しい時間を過ごしました。最後に、デイナー先生からアメリカのチョコレートをいただきました。また、このように地域の方々と交流できる場に参加したいと思います。

英会話教室は随時参加者を募集しています。

連絡先:牟岐町教育委員会(088-472-0107)
気軽にご参加ください!

ライター:地域おこし協力隊 真武未有