「島を知り混ざるワークショップ」を開催しました!

9月22日(日)に出羽島の波止の家で「島を知り混ざるワークショップ」を開催しました。このワークショップは2025年3月に開催される出羽島アート展2025に向けて、これまで出羽島に関わってきた方々と若者との交流を行い、アート展に向けて気持ちを高めあうこと及び出羽島を知ってもらうことを目的に行いました。

【出羽島アート展2025】
開催日時:2025年3月22日(土)~30日(日)の9日間
今年のアート展のテーマは「混ざる」。世代・社会・自然・時代・多様な人々を混ざり合わせ、島の魅力を体感するアート展を目指します。
〈2024年10月現在、屋外作品を募集中!〉
https://www.town.tokushima-mugi.lg.jp/docs/2024090300015/

11:10に牟岐港発の出羽島連絡船(大生丸)に乗り、出羽島へ出発しました。今回の参加者である若者ら8名はこれまで出羽島を訪れたことがない人が多く、連絡船に乗るときから旅に出るようなワクワク感がありました。

15分程度の船旅を終え、出羽島港に到着し、波止の家では、田中漁協組合長と出羽島婦人会の田中さん、鈴木さん、濵さん、本田さんが出迎えて下さりました。アイスブレイクで自己紹介を行った後、お昼ご飯は婦人会の方々が作ってくださった島そうめんとおにぎりを頂きました。

鈴木さんからは「島そうめんは100年以上続く出羽島の伝統料理です。レンコ鯛を甘辛く煮付けて、その煮汁をつゆに使用しています。そうめんの横のすりおろしたショウガをつゆにいれても美味しいです。」と島そうめんについて説明をしてくださりました。

参加者の皆さんは初めての島そうめんを夢中で頬張っていました。
徳島大学医学部3年生の岩田悠利さんは、「食べる前から、まろやかで濃厚な赤物の魚の香りに包まれて待ちきれずソワソワしていました。そうめんをつゆに入れて3、4回ほどしっかり絡め一気に啜ると、甘みのある濃厚な風味が口の中に広がり、日本に啜る文化があって良かったと実感しました。連子鯛の煮付けは、口に入れた瞬間はふわっと、噛むごとに身はしっかりしていて、そうめんの上に載せて一緒に啜るのが絶品でした。」と美味しさを伝えてくれました。

食事の後、出羽島出身で長年漁協の組合長をされている田中組合長からお話をしてくださりました。島の暮らしはどのようなものなのか、これまで苦労してきたことや不便だったことを教えて下さりました。
電気は昭和41年(1966年)、水道は昭和48年(1973年)、し尿汲み取りは平成7年(1995年)に島に入ってきたこと、島のメインの井戸は島の人々の命を支えてきたこと、その井戸には人懐っこいカニクイウナギが住んでいたこと、テングサの収穫量の変化、お好み焼き屋さんが5件もあったことなど、長年住んでいる人にしかわからない貴重なお話をお聞かせいただきました。

私が印象的だったのは「この島に生まれてよかった。不便なのはこの上ないけどな(笑)」とおっしゃっていたことです。島にはスーパーもコンビニもなく、天気の関係で船が出ないときもありますが、島の方々と話していると、出羽島が好きなことが伝わってきます。人口減少や高齢化などの問題はありますが、これからも変わらず出羽島の魅力を守っていきたいと思いました。
※出羽島アート展2025では、島の方々からお話をお聞きし、「ききがき」として展示する予定です。

13:00頃からは牟岐観光ボランティアガイドの会の庄野さん、岡田さんのガイドで出羽島を散策しました。普段歩いている中では知らなかった歴史や特徴などを知ることができました。

牟岐観光ボランティアガイドの会〈出羽島ガイドウォーク〉
https://mugi-kankou.com/taiken/%e5%87%ba%e7%be%bd%e5%b3%b6%e3%82%ac%e3%82%a4%e3%83%89%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%af/

田中組合長も一緒に島の案内をしてくれました。
島の石垣は丈夫で、台風が来てもびくともしないとのこと。

散策に参加した工藤瑞樹さんは「ボランティアガイドの方々の貴重なお話を通して、出羽島の歴史を感じることができました。 ミセ造りの家屋には、品物の陳列や談笑をする縁側があり、島で獲れた魚や作物を並べ、人と共に豊かな生活を営んでいたことが感じられます。島民の生活の歴史を知り、時間的な連続性を感じ、タイムスリップしたようでした。」と、おっしゃっていました。

散策後は、絵手紙をかく会の木本さん、黒崎さん、鈴木さんにお手伝いいただき、これまで出羽島に滞在して感じた島の魅力を絵手紙にしました。参加者は絵手紙初心者でしたが、「ヘタでいい、ヘタがいい」の心得で自由にのびのびと描くことができました。

今回のテーマは「散策して感じた島の魅力を絵手紙にする」。
散策で見つけたハイビスカスや浮きガラス、小道から見える港の風景、石垣など、島の風景が多く見られました。最後に、描けた人から島にひとつだけあるポストから絵手紙をそれぞれの大切な人へ送りました。

マレーシアのホームステイ先の家族に送るという牟岐町出身の櫨山晴菜さんは「私は去年の夏、マレーシアのとある家族のところで少しの間だけホームステイをしました。ホストファミリーはとても優しくて色んな話をしました。その中でも、私の生まれ育った牟岐の話をしたらとても興味深く聞いてくれて、行ってみたいと言ってくれたことが忘れられません。この絵手紙を送ることでホストファミリーが私と過ごしたことを少しでも思い出して、あんなことを話してたなぁと思いながら少しでも牟岐の温かさが伝わってくれたらとても嬉しいです。」と想いを伝えてくれました。絵手紙に書いた「terima kesih」はありがとうという意味だそう。

島の方々に絵手紙をお見せすると、「うわ~!綺麗な~!」と喜んでくださりました。
お見送りでは船が見えなくなるまで手を振り続けて下さり、出羽島の人々の温かさを最後まで感じました。

出羽島アート展2024に参加していた谷尚俊さんは「私は昨年度の出羽島アート展に訪れ、ゆったりとした時間が流れる出羽島に興味を持ち、今回のワークショップに参加しました。ワークショップでは、出羽島の住民の方のお話を伺い、出羽島の歴史や現状について知ることができたのが印象的でした。出羽島の歴史はまさに唯一無二で、とても魅力的だと思いました。 島そうめんも美味しかったです。また訪れたいと思います。」と、より島への理解を深められたと伝えてくれました。

今回、初めて出羽島を訪れ、これからアート展に向けて関わってくれる四国大学生活科学部人間生活科学科デザインコース2年生の木本青空くんは「私が初めて出羽島を訪れたのは小学4、5年生の頃で、出羽島アート展の時だったと思います。今回、出羽島アート展のボランティアに参加することになり、年月を得て、また出羽島を訪れ、今度は私が出羽島に来た人々を楽しませる側として携われることはとても考え深いなと思いました。様々な人と関わり、自分の中に無い新しい何かが芽生えれば嬉しいです。」と意気込みを伝えてくれました。

出羽島に興味はあったが、訪れる機会がなかったと言っていた人も、出羽島をもう一度訪れたいと言っていた人も、このワークショップを通して、楽しく島のことを知り、理解を深められたのではないかと感じました。出羽島アート展2025やこれからの出羽島に向けて、島の魅力を守りながら少しでも元気にできたらと思います。

ライター:地域おこし協力隊 真武未有

〈大阪公立大学松本ゼミと協同〉天神天満阿波おどりにて、三好市×牟岐町の物産販売!

8月25日(日)に天神橋筋商店街と大阪天満宮で天神天満阿波おどりが開催されました。今回は、大阪公立大学松本ゼミの皆さんがゼミ活動をしている三好市と牟岐町の共同で、天神橋筋二丁目のコロッケ中村屋横のブースで物産販売を行い、同時に、これまで松本ゼミがどのような活動を行ってきたのかが分かる展示と冊子配りが行われました。三好市での活動に関わっている徳島県立池田高等学校の学生の皆さんもお手伝いに来てくれました。

牟岐町の物産販売では、勝浦花かつを200袋と牟岐町産モリンガと阿波藍のハーブティーである「牟岐茶」の販売を行いました。勝浦花かつをは完売し、牟岐茶も人気商品となりました。

物産販売だけではなく、松本ゼミがこれまで各地域でどのような活動を行ってきたのかをまとめた展示とパンフレットの配布も行いました。牟岐や出羽島の出身の方々が鰹節を購入される際に、松本ゼミの展示を見たり、パンフレットを持って帰ってくださったりと、松本ゼミを通して大阪で牟岐町にゆかりのある方々と繋がる機会になりました。

4年生の山﨑杏純さんは「展示物やパンフレットを作成して自分たちなりに工夫して準備しましたが、当日になるまで内心ドキドキでした。しかし、たくさんの方々が足を止めてくださりお話して興味を持っていただけたのがとても嬉しかったです。」と、実際にやってみて感じた手ごたえを伝えてくれました。

牟岐町と繋がりがある方だけでなく、商店街を歩いてられた方々や外国人観光客も興味を持ってくださり、特に、牟岐茶はスーパーフードであるモリンガが入っていることや牟岐の海をイメージしたマリンブルーが珍しく、お土産として買われていました。

物産販売後のリフレクションでは様々な意見と今後に向けた課題が議論されました。
三好市と牟岐町のブースを訪れる人の特徴について、三好市のブースに来る人は観光で三好市を訪れたことがある通りすがりの「新規の方」が多いように感じられました。思っていた以上にパンフレットに反応してくれる方が多く、「話していく中でその人に合ったパンフレットを渡すことができた」「ゼミの冊子を渡すとゼミに興味を持ってくれたりした人もいてよかった」という意見が多くありました。
三好市とは対照的に、牟岐町のブースに来る人は年配の方が多く、鰹節が好きな方や出身者の方など、これまで牟岐町とかかわりのある「ファン」が多く見られました。今回は、観光情報や物産情報が多かったため、「今後は出身者やゆかりの人へのアピールにより繋がりを強くすることが課題なのではないか」という意見がありました。

また、三好市と牟岐町が共同で物産販売を行ったことについて、「別地域の特産品を初めて知ることができた」とお互いの地域を認知することができたという一方で、「物産や地域についてもっと知れていたらよかった」「会話が広げられるように徳島への理解を深めたい」とより深く理解し、伝えられたら良かったという意見がありました。また、大阪で阿波踊りを通して物産販売を行ったことで、市や町であること以上に私たちは徳島県人なんだという意識が強くなったように思えました。

お手伝いに来ていた池田高等学校の高校生の皆さんからは、
「都会の人たちは冷たそうだというイメージがあったけど、話してみると気さくだった」
「自分から話しかけないと話せないんだなと気づいた」
「探究活動の知識を使って、パンフレットを渡すときに戦略的に動くことができた」
などの意見があり、普段は来ることのない大阪の商店街での活動は実用的で、気づきが多いものとなったようでした。

令和3年度から始まった大阪公立大学松本ゼミと牟岐町の連携ですが、これまで天神橋筋商店街を牟岐町が年に数回訪れることができているのは、松本ゼミの活動のおかげです。
最後に、4年生の近藤拓実さんから「4年生は卒業してしまいますが、松本ゼミの活動やこれまでの関係性は続いていきます」と今後の松本ゼミの活動を後輩に託し、今後の活動へ励ましの言葉を贈ってくれました。
3年生の滝瀬央佳さんからは「実際に牟岐や三好という地域、そして商品に興味をもってくださるお客様と対話することで、改めて遠く離れた大阪という地で物産展を行う意義を実感することができました。牟岐と大阪をつなぐ架け橋となれるよう松本ゼミとして力を尽くしていきたいと思います。」と伝えてくれました。

卒業後も牟岐町に気軽にいつでも帰ってきてほしいと思いますし、これからも大阪で繋がれる機会を作っていきたいと思います。

ライター:牟岐町地域おこし協力隊 真武未有

200年以上の歴史がある牟岐慰霊踊りが復活しました。

8月13日(火)に旧牟岐小学校のグラウンドで18時から牟岐慰霊踊りが行われ、18時30分からは阿波踊りが行われました。
コロナウイルス感染症の影響と牟岐慰霊踊りを主催する遺族の世話役不在等により中断されていましたが、有志により牟岐慰霊踊りの会が発足し、5年ぶりに開催されました。初盆を迎えた新仏を踊りで供養する牟岐の慰霊踊りは、白い幕を垂らした一文字笠をかぶり、顔を隠した衣装で、牟岐音頭に合わせてシンプルな6つの動作を繰り返し、しっとりゆったりと踊るのが特徴です。

慰霊踊りの冒頭には、民謡踊クラブの皆様から踊り方のレクチャーがありました。6つの動作のみでできる踊りのため、初めは難しいと言ってらっしゃった方々も回数を重ねると、音頭に合わせておしとやかに踊ることができていました。

牟岐慰霊踊りの会の和西会長は、「これまでは西の町と東の町に分かれて踊っていたので、一緒に踊るのは初めての試み。こんなに人が集まるとは正直思ってなかった(笑)」とおっしゃっていました。
また、「慰霊踊りは、お寺や神社など宗教にはなんの繋がりもない自然発生した踊りなんやけど、初盆の大切な行事で、牟岐の人たちにとっては49日や100日のような供養の一括りのような意味合いがある。例えば、隣のおじさんが亡くなったり、親戚の人が亡くなったりしたときに、『そういえば初盆やったんやな。』『あの人が亡くなったから踊りに行ったるけ。』『あの人が若い時は~』とか、そういう会話が生まれるんよ」と教えていただき、慰霊踊りはみんながそれぞれの「あの人」を思い出す場になっているんだと感じました。

徳島県内にいくつか慰霊踊りがあったようですが、どんどん廃れていったようで、牟岐慰霊踊りも昔とは少し変わったそうです。

「牟岐慰霊踊りはいつも夕方6時くらいから始めるのには変わりがないんやけど、昔は夜通しやっていた。音頭を語る人がたくさんいたし、題材もたくさんあって、大体1人1時間程度で、それが10人、20人と続いていたからね。だから、慰霊踊りを終えて、牟岐在住の70・80代の方々からは『よおやってくれたなあ』と言ってもらえることができ、思い入れがあるんだと感じたね」。

また、慰霊踊りが復活することを知った方からは「牟岐出身の父が亡くなったのだが、提灯を持って慰霊踊りに参加してもいいだろうか?牟岐に自分自身は訪れたことがないから父の地元を訪れてみたい」というお話があったそう。
「伝統文化である慰霊踊りが帰省するきっかけになったのがすごく嬉しくて、今後もこのような人の流れを作っていきたいと思った」と、想いを語ってくださりました。

これまでの牟岐慰霊踊りとは変わり、地元の阿波踊り連「とんま連」による阿波踊りも行われました。町民の皆さんの手拍子が響き、慰霊踊りとはまた違ったイキイキした雰囲気を感じました。最後には、町民も一緒になって阿波踊りを踊り出しました。
これまで一緒に踊られてこなかった牟岐慰霊踊りと阿波踊りですが、牟岐慰霊踊りで亡くなった方に想いを馳せ、最後は阿波踊りで明るくエネルギッシュに締める様子は、まさに徳島・牟岐でしか起こり得なかった新しいお盆の情景だと感じました。