「ただ、ここが心地よいから」— 私が牟岐町とつながる理由 :鳥取大学 有賀春桜美(あるが すおみ)

今回お話を伺ったのは、鳥取大学農学部に通う有賀春桜美さん(あるが すおみ)23歳。現在は鳥取をベースとしている彼女ですが、幼少期から各地を転々として育ってきました。そんな彼女は今、関係人口として牟岐町に関わっています。どのようにして牟岐と出会い、なぜこの町とのつながりを続けているのでしょうか。その背景についてお話を聞いてみました。

幼少期から続いた移住生活と徳島との出会い

——春桜美さんはどちらのご出身ですか?

長野県出身で、子どもの頃から転々としていて出身という感覚があまりなく、生まれは徳島ではないんですが阿南市には長く住んでいました。小学校に行くために徳島県に移住してきたという背景があります。

——小学校に行くためにですか?なぜ徳島の小学校に?

少し複雑な家庭環境だったんですが、幼稚園の時に両親が離婚していて。母は『NPO法人自然スクールトエック』というフリースクールに私を通わせたかったみたいで、そこに行くために徳島県に移住を決めた感じですね。

NPO法人自然スクールトエックとは?

NPO法人自然スクールトエック
徳島県阿南市にあるフリースクールで、子どもたちが自分の興味や関心に基づいて学ぶことができる教育施設。従来の学校教育とは異なり、自由な学びのスタイルを提供しているのが特徴。トエックは全国的に数少ないフリースクールの一つであり、その特性から阿南市にはこうした自由な教育を求める家庭が移住する傾向がある。

——春桜美さんの意向というよりはお母さんが通わせたかったと。

はい、そうですね。山梨の母の知人が先に移住していて、その話を聞いて行こうと思ったのかな。それまでは長野、埼玉、石川、山梨と1年ごとに転校していました。最初は父の転勤が理由で、そこから離婚をきっかけに阿南へ定住することになりました。小学校4年生か5年生くらいのときに阿南に引っ越して、それから高校卒業まで過ごしました。あ、阿南の前は同じ徳島県の神山町に2年間住んでいて、その時すでにトエックには通っていました。毎日車で1時間半かけて通っていまして、遠いという理由で阿南に引っ越しました。

——牟岐町に関わるようになったきっかけを教えてください。

高校生のときにサマースクールに参加したのが最初のきっかけですね。それまで牟岐町には何度か訪れたことがありましたけど、ただの遊びやイベントへの参加という感じで深く関わることはありませんでした。でも、このサマースクールが、今の関係につながる最初の大きなきっかけになったと思います。

サマースクールとは?

HLAB サマースクール
サマースクールは、夏休み期間中に開催される短期集中型の教育プログラム。HLABが主催するサマースクールは、国内外の大学生がメンターとして参加し、高校生に向けた英語での授業やワークショップ、異文化交流を提供することを特徴としている。牟岐町で行われたサマースクールもその一環で、HLABの理念を受け継ぎながら、地域の大学生らが主体となって学びの場を創出してきた。

——では、牟岐町自体はもともと馴染み…というか知ってはいたんですね。

そうですね、地名も場所も知っていました。ただ、それ以上でも以下でもなく、特別な意味を持っていたわけではなかったです。でもサマースクールに参加したことで一気に距離が縮まりました。

サマースクールとの出会いと牟岐町への第一歩

——サマースクールに参加した理由はなんだったのでしょうか?

多分、当時すごい日常に飽きていて…とにかく外に出たかったんだろうと思っていて、高校生活が退屈だったというのが大きな理由です。小学生の時から自分は割と活動的っていうか、色んな大人に囲まれて育ってたから、閉鎖的な環境がすごく合ってないなって思ってて。高校も阿南の高校に通っていて、何か違う刺激を期待して行ったけど、そこが満たされるわけでもなく…辛いなって思ってた時に学校で黒板の前に貼ってあったサマースクールの説明会のチラシを見て、説明会に参加して、そこで観たショートムービーで「これは行くしかないな…」て思ったのはすごい覚えています。

——何がピンと来たのでしょう?

一番印象に残ったのは、英語が普通に話されている環境です。徳島ではそんな環境に触れることがほとんどなかったので、すごく新鮮に感じました。学校の英語の先生ですらそこまで流暢な英語を話せるわけじゃないので、それだけでもワクワクしましたし、少なくともここに行けば本物の英語に触れられる環境があるんだなって思ってたし、あとは大学生がすごく輝いて見えて、純粋に楽しそうだなって思ったから。そういう純粋にワクワクすることってあんまり学校生活の中でなかったから、チャンスがあるなら参加してみようと思って応募しました。

当時徳島県内の高校生は県内生割引があって、他の人は6万円払ったのが私は2万円で済んだんです。2万円ならいけるなと思い、お母さんに何も言わず応募しました(笑)。

——中学、高校の時に部活などの活動はやっていなかったのでしょうか?

中学、高校の時、部活は結構やっている方でしたが、なにか物足りない感じがありました。話がめちゃくちゃ合う友達がずっといない感覚があって。高校になったら変わるかなと思いましたが、進学しても大きくは変わりませんでした。

同級生の会話はゲームや漫画、恋バナが中心で、私はどちらかというと本を読んだり、誰かとじっくり話すことのほうが好きだったので、なかなか馴染めなかったんです。休みの日で遊ぶのも、みんなでショッピングモールに行ったり、プリクラを撮ったりするのが当たり前みたいな感じで私にはそれがすごくつまらなく思えてしまって。もちろん友達と一緒にいるのは楽しいんですけど、私は本質的にはそこに興味がない人間だったので、やはり何か違うものを求めていました。外で体を動かして遊べる友達や、自分の思想や哲学的なことを話せる存在、のようなものです。

今では学校外で活動をして、やりたいことを広げていく人が増えたとは思いますが、当時はそういう人も全然いなかったので、やりたくてもそれに慣れている大人がいなくて、どこにも出られないような環境でした。

——孤独感を感じていたと。

そうですね…孤独感は感じていました。

——そんな中でサマースクールを見て、ビビッときたと。実際に参加してみてどうでしたか?

参加してみて刺激に溢れていました。特に海外の大学生が専門分野を英語で授業するセミナーは、オールイングリッシュなのでほとんど分からないのですが、ついていかないといけませんでした。それに徳島県内で同じような志を持っている高校生と出会えて、1週間話をしたりもしました。出会ったことのない世界に出会ってすごく新鮮でした。

でも自分の人生が変わったというよりは、広がった感覚が強いです。サマースクールの参加者のみんなはよく「180度変わった」と言うのですが、私はそれよりも前にそういった経験をしていたので、あまりそういう感覚ではありませんでした。より広がって深まったと思っています。

——その前にしていた経験とは?

その前は中学3年生の時、英語弁論大会の県大会で3位になり、全国大会に出場しました。各県から3人くらい集まり、東京で合宿をしながらの大会でした。そこで東京の同い年の子たちに会い、カルチャーショックを受けました。

そもそも大会なので、評価というものがあり、自分は予選で敗退するようなレベルでした。でも合宿の中で、決勝に行く子の応援をしたり、一位を取った子が隣にいて、周りの子たちと「おめでとう」って言い合ったりして。普段徳島の中学校で過ごしていたら出会わないような感覚を、その大会で得ました。それもあったから、より高校で物足りなさを感じたのかもしれないです。

——ではサマースクールは、自分が思っていたほどの経験でもなかった感覚…ということでしょうか?

めちゃくちゃ良かった部分と、ある程度想定内だった部分があったので、感動は自分にとってそこまで大きくありませんでした。でも、1つだけすごく大きかったことがあって。それはサマースクールが終わってからすごく笑うようになりました。それまで感情を前に出さない人間でしたが、そこで安心したのか、誰かが見てくれている感覚を得て、愛という感情を知ったのがサマースクールでした。

人を大切にするとか、誰かを想うとか、誰かに感謝するみたいな感覚を初めて得ました。人生で初めて人前で泣いたのもそのタイミングです。

——へえ、どんなタイミングで泣けたのでしょうか?

確か閉会式でみんな泣いていましたが、そういう状況でも泣いてこなかった自分だったのに涙が出てきた時、めっちゃびっくりしました。

——その後、どうして牟岐町に関わり続けることになったんですか?

2021年にHLABのサマースクールの運営委員として関わることになったんです。今は徳島でのサマースクールがなくなってしまったんですが、牟岐町で何か新しいことをしようという話があって。そのとき、運営を担う大学生を探していて、私に声がかかりました。スタディツアーという企画をして、大学生や高校生と交流を深める機会を作りました。それが、今の関係人口としての関わりになったと思います。

——春桜美さんとしても関わりたいなと思ったんですね。

自分としても徳島で何かしたいってずっと思ってたから。

——あれ?そう言えば、そもそも春桜美さんは若干住所不定の生活を送っていますよね(笑)。

その間もそもそもどこに住んでるのかは割と不定でした。その時は本当に絶賛旅の途中だったから、話をもらった時は北海道にいたかもしれない。あれ違うな(笑)。覚えていません。

——今はどこに住んでいるんでしょうか?

今は鳥取県で普通に大学生してます。

関係人口としての今と、これから

——今はどれぐらいの頻度で牟岐町に訪れているのでしょうか?

年に4回くらいですね。長期休みのときは必ず来るし、3連休とかでも来ることがあります。何かイベントで呼ばれて来るとか。でも自発的にナチュナルに来てる時も多いですね。

——何かそうしたイベントの時に呼ばれたとかであれば、来る理由は分かりますが、自発的に来るっていうのは何か相当理由があるというか、単純に牟岐が好きなんですね。

そうですね。でもあんまり予定なくて来る事なくて。今回は友人が牟岐に来るから一番良いタイミングが今だったっていう感じだったので合わせて来たっていう。だから誰か来るとか、1回車返しに来るっていう理由で来た事はあるけど。大体何かに合わせて来ている気がします。

——そうして帰って来れるっていうは、やはり帰って来やすい環境があるいうのがやっぱりありますよね。

その環境は大きいと思います。

ターンファームという基地のような場所や、学生が寝泊まりできるシェアハウスなどもある

でも牟岐に来た時に一番最初に住んでいたのが目の前に牟岐川がある水防倉庫というところで。その時は車はないし、周りにそんな人もいないから、すごく静かな場所だなと思って。それはそれで好きでした。

——これから牟岐で何かしたいことなどはありますか?

そうですね。全然自分自身の将来のことがわかってないから、多分毎年言うこと変わると思うんですが(笑)、何か継続的に牟岐には関わっていきたいなと思っていて。例えば牟岐に来たいっていう人がいたら一緒に来るだろうなと思うし、その時イベントがあれば手伝ったりとか…それぐらいしかいまは思い浮かびません。

——牟岐町に来る若者たちと一緒になって牟岐を楽しんだり、話しをしたりってことですかね。大学卒業後の進路は決まっているのでしょうか?

ある程度決まっていて卒業後は一度東京で就職する予定です。でも東京に長くいるつもりはなくて、最終的には徳島に戻るんじゃないかなと思っていますし、戻ってきたいなと思っています。人とのつながりがあるので、何かしらの形で関わり続けるとは思います。

将来的には山の中に住みたくて、古い家をなんとか立て直して暮らすようなことをしたいなと思っています。牟岐をはじめ、徳島県南は環境として性に合うなと思っています。私は地域創生とかそういった大きな目的があって関わっているわけではなくて、気づいたらここにいて、気づいたらまた戻ってきている。そういう感覚のほうが近いかもしれません。誰かに求められたからではなく、ただここが心地よくて、自然と足が向くんです。だから、これからも肩肘張らずに流れのまま関わっていくんじゃないかなって思います。

 

有賀春桜美さんの話を聞いていると、彼女の持つ感受性の高さと、環境に対する鋭い洞察力が強く印象に残りました。彼女は「移動すること」によって自分を見つける人生を送ってきましたが、その中でも牟岐町という場所には特別な吸引力を感じているように思えました。牟岐は彼女にとって、目的を持って訪れる場所ではなく、自然と足が向く場所。その理由を深く掘り下げると、「人との距離感」と「閉鎖されすぎない空間」に心地よさを感じているのではないかと思いました。

彼女がサマースクールで経験した「英語が飛び交う場」「価値観の異なる人との出会い」は、それまでの閉じた環境では得られなかった刺激でした。一方で、それは単に新しい世界を知るということ以上に、自分の内面を開くきっかけにもなったのではないでしょうか。サマースクール後に「笑うようになった」と語る彼女の言葉は、その変化を端的に物語っています。

また、「人前で初めて泣いた」というエピソードはとても象徴的でした。それは単なる感動ではなく、「自分がここにいていいんだ」という安堵の感情だったのではないかとも感じます。それまで理性的に物事を受け止め、内面にしまい込んできた感情が、牟岐という環境の中で自然と表に出た。そういう体験は、どんなに言葉を尽くしても説明しきれない「感覚的な何か」だったのでしょう。

地域創生という大義名分ではなく、ただ「ここにいるのが自然だから」と関わり続ける彼女のスタンスは、牟岐の魅力そのものかもしれません。目的がなくても、肩書きがなくても、何かが満たされる。そんな場所があるということを、彼女の話から改めて感じさせられました。

先祖と家族が大切にしたものを守りたい——地域創生を考える若者の視点【NPO法人ひとつむぎ】中山知華さん

今回お話を伺ったのは中山知華さん(20歳)。牟岐町生まれ牟岐町育ち、現在は徳島で大学生活を送っています。『NPO法人ひとつむぎ』が立ち上がった初期から運営側ではなく参加者として参加をし、現在は運営側として活動をしています。こどもの頃から牟岐を想い、積極的に地域活動をしてきた非常に稀有な存在といえるのかもしれません。そんな彼女に牟岐への想いを聞いてみました。

ひとつむぎとの出会いと関わり

ー 知華さんのご出身はどちらでしょうか?

生まれは牟岐町です。高校は阿南市の富岡西高に行っていました。

ー 高校で阿南市に行っていたのはなにか理由があったのでしょうか?

剣道が強い高校だったのでそこを選びました。兄も同じ高校で楽しそうやなぁと感じたのでそれもあります。

ー へぇ、兄弟で同じ高校に通っていたんですね。とても仲が良いんですね。高校進学の際に、県外へ行くという選択肢は考えなかったのでしょうか?

剣道を続けたかったので、特に県外に出ることは考えませんでした。

ー 剣道は武士道の真髄を究める道とも言えますが、そうした学びが魅力のひとつだったのでしょうか?

はい。小学校の時に「我以外皆師なり」という剣道において重要な教えを先生から教わって、中学校の時に作文を書いて全校生徒の前で読んだ事があります。私は「自分は頑張っている」という、どこか傲慢な部分があったりしたので、この言葉はそれを改めるキッカケを作ってくれましたし、挨拶をするなど多くの礼儀を学んだ事は今にも活きているなと感じています。

ー 牟岐町には『NPO法人ひとつむぎ』という、教育やまちづくりに携わる大学生を中心とした団体がいます。そことの関わりが知華さんは親密だとお聞きしていますが、ひとつむぎとはいつ頃から関わりがあるのでしょうか?

私が小学生の時だったかな?それぐらいの時がひとつむぎが発足をしたタイミングで、本格的に活動に参加をしはじめたのは中学生だったように思います。

ー 運営側ではなく参加側としてですね。そもそも、なぜひとつむぎに参加しようと思ったのでしょうか?

なんとなくといった感覚的なものですが、楽しそうだったんです。

ー へぇ。どのあたりが楽しそうと感じたのでしょうか?活動の内容が?

牟岐から新しい活動がはじまる!といった感覚あったので、それが良いなと思ったんです。楽しいことがこれからはじまる!みたいな。内容はというよりそちらの感覚的な方が強かったように思います。

ー 実際に参加してみていかがでしたか?

アイスブレイクとかをゲーム感覚でできて、とても楽しかった思い出があります。その時、何のために大学生が牟岐に来ているのか?とか、そうした事は全く考えていませんでしたが、大学生という存在が牟岐町にはほとんどいなかったので、ちょっと年上のお兄さんお姉さんたちと遊べるだけで楽しかった記憶があります。

ー そうした”楽しかった経験”から中学生、高校生の時にもひとつむぎに参加していくことになるのでしょうか?

はい、そうですね。最初はただ楽しいから参加していましたが、関わるうちに「町を盛り上げる活動」に少しずつ興味を持つようになっていきました。

中学生の時に参加者として参加した時の一枚

交流授業で訪れた宮崎

ー 高校を卒業して大学に行くことになってから参加側ではなく運営側にまわることになるわけですが、ひとつむぎではどのような活動をしていたのでしょうか?

コロナ禍で出来なかったことなどが沢山あるのですが、一番印象に残っているのが2022年の大学一年の時に宮崎県の西都市のとある中学校に交流授業をしに行ったことです。それがとても楽しかったんです。

ー へぇ、どのあたりが楽しかったのでしょうか?

中学生たちがとにかく元気で驚きました。総合学習に力を入れている学校だったので、みんな発表のときにしっかりと自分の意見を伝えられるんです。校長先生も「子どもたちが自発的であること」を大切にしている方で、その姿勢が学校全体に根付いているのを感じました。朝には一緒に挨拶運動もしたんですよ。

ー 校門に立って「おはようございます!」とか「さよーなら」とかですかね?

そうです。帰る日の朝も、もう一度校門に行って挨拶しました。

ー 子どもたちとコミュニケーションを取る事が楽しかったんですね。

はい。それに、その中学校は規模的に牟岐町の学校と似ていたんですが、子どもたちの活発さがまるで違っていて、その違いがとても印象的でした。

ー 教育の違いを感じたのですね。

その時コロナ禍でしたのでとても難しい時期だったと思いますが、訪れた中学校は地域との関係を絶やさずにオープンにしていたのが良かったようです。あと宮崎という土地も良いなと思って。登って登っても平野で。そんな場所に行ったことなかったので。

ー 四国と九州の景色の違いですね。僕も平野の景色はとても好きなのでよくわかります。

宮崎に訪れた時の一枚

大学での学びよりも地域創生

ー 大学は四国大学に行かれていると思いますが、そうした理由や経緯などはあるのでしょうか?

もともと県外に出るイメージがあまりなかったんです。本当は徳島大学の総合科学部に行きたかったんですが、残念ながら合格できず…。ひとつむぎで関わった大学生の多くが総合科学部の出身だったので、憧れがありましたね。結果として四国大学の経済情報学部・メディア学科に進学しました。

ー メディア学科はいかがですか?

カメラが好きで専攻しましたが一年生の時は座学ばかりで(苦笑)。二年生になったらようやくカメラを触れるようになり面白くなってきまして、今は映像とWebデザインを学んでいます。映像制作で15秒のCMを作ろうと思っていざ撮影してみたんですが、思ったより撮影に時間がかかって。撮影する前は絵コンテって必要ある?とか思っていたんですが、やっぱり絵コンテって重要なんだなーと(笑)。

一年生の頃の座学の内容が、今になって理解できるようになってきましたか?

いえ…実はまだあまり実感できていないです(汗)。

ー え?そうなんですか(笑)。現在大学には通っているけれど、大学で学ぶことにそこまで興味はないように感じます。知華さんとしてはひとつむぎの活動の方が興味があるのでしょうか?

ひとつむぎの活動の方が全然興味があります。

ー それは自分の故郷である牟岐町をベースに活動をしているからでしょうか?

それもありますが、大学で映像編集をしていると、作業に時間がかかる上に基本的に一人で進めるので、孤独を感じることが多いんです。でも、ひとつむぎの活動で子どもたちと関わっていると、そういう孤独を感じることがなく、純粋に楽しいと思えるんです。

ー こどもが好きなんですね。

はい、こどもが好きなんです。

ー では教育にも興味があると。

教育には興味がありますが、より広い意味でいうと「地域創生」に関心があります。地域創生を考えたときに、教育は欠かせない要素のひとつだと思うんです。ただ、教育って成果がすぐに目に見えるものではないので、どうしても投資しにくい分野だと思うんですが、そこにしっかり取り組んできたのがひとつむぎや牟岐町なんですよね。だから、教育というよりも「地域創生の手段としての教育」に関心があります。

ー 現在大学三年生。これから就職活動をしてくことになると思いますが。

まだ何も決まっていなくて(汗)、どうするのがベストなのか悩んでいます。今までの活動を踏まえた上で、自分がどのポジションを取るのが一番良いのかを模索している段階です。

ー メディアについて学んでいるので、そういった関係には興味はないですか?

写真が好きなので写真家とかフォトグラファーになってみたいなとは思っています。でも写真館とかだと日曜日は仕事をしなければいけないので(笑)、違う形でできたらと思っています。

いいですね。これまで取り組んできた地域活動と写真家としての活動を組み合わせれば、面白い形になりそうです。これからは、どう組み合わせていくかが大事な時代ですからね。

牟岐に残るのが理想

ー では最後に。ひとつむぎに参加したり、県外に出る考えがそもそもなかったりなど、牟岐町への想い…というか故郷が好きといった印象を受けているのですが、一方で宮崎が良かったなど、経験の中から生まれてくる「故郷との違いのギャップ」が悩みのタネになっているような気もします。

やっぱり愛着があるし、もともと人混みとか苦手で都会に行きたいというのもなくて。ただ田舎が好きで自然が好きなんです。自分の生まれた町で家族がいる町で、思い出が蓄積しているので牟岐町は大事な町です。現在、ひとつむぎや牟岐町の取り組みのお陰で牟岐町には大学生とか関係人口とかが増えていて、活性化している部分が間違いなくあると思いますが、耕作放棄地とかもまだまだ多く、土地は荒れていっているので、現実的に考えると問題は大きいなと思います。そこで町を捨てて外に出ていくことは簡単ですけど、先祖とか家族が大事にしているモノを私も大事にしたいと思っているので、現実的に対処していける方法を牟岐にいながら考えていきたいなと思っています。今の牟岐だったら色んな仲間がいるので出来そうな気がしています。

ー では就職とかでまだ悩んではいるけど、できれば牟岐に残ってそうした活動を行っていけたらということでしょうか。

それが一番の理想ですね。こどもたちが地域に愛着を持たないまま出ていく事とかはすごく寂しい事です。頭が良いとかよりも情の深い人たちが増えてくれたら良いなと思っています。

知華さんは言葉を選びながら自身の考えを伝えてくれました。その姿勢からは、「地元を愛する気持ち」と「外の世界を知ることで生まれる葛藤」が感じられました。牟岐町が好きだからこそ、地域の未来を考え、貢献したいという想いを持っていると感じます。しかし、宮崎での経験を通して「自分の町との違い」に気づき、より良くするためには何が必要なのかを模索しているようにも感じました。

また、「町を出ることは簡単。でも、先祖や家族が大切にしてきたものを守りたい。」そう語る知華さんの言葉には、地域に根ざしながらも、現実的な視点で未来を考えていきたいという強い意志を感じました。理想と現実の間で悩みながらも、牟岐町に残る道を模索する姿は、多くの若者が抱える「地元愛」と「新しい世界への興味」、そして「自分の生き方をどう社会に調和させるか」という普遍的なテーマとも重なります。

そしてこれは、知華さんだけの問題ではなく、牟岐町、さらには日本全体が抱える課題でもあると感じます。グローバル化が進む中で、故郷への想いが薄れつつある現代において、「先祖や家族が大切にしてきたものを、自分も大事にする」というごく当たり前の気持ちこそ、今こそ見直されるべき価値ではないでしょうか。知華さんの言葉を通して、その大切さを改めて考えさせられるインタビューとなりました。

木原ゼミ合宿を行いました!!(後編)

京都産業大学現代社会学部木原ゼミ6期生です!

2025年2月13日(木)から2月15日(土)に冬合宿として徳島県牟岐町を訪れました!

今回は、後編です。私たちが三日間で体験した牟岐町の魅力をご紹介します!

木原ゼミ合宿を行いました!!(前編)

turn farmにて手作りピザ体験

1日目の夜は、turn farmにて夕食をいただきました。メニューは、おでんとピザ!

牟岐キャリアサポートの大西さんが朝から仕込んでくださったおでんは味がしっかり染みていて絶品でした。

さらに、turn farmに昨年夏導入されたピザ窯で手作りピザを作りました。

自分たちで具材を盛り付けたオリジナルのピザを楽しみながら美味しくいただきました。ご飯の途中にはサプライズでゼミ生の誕生日を役場の方やゼミ生全員でお祝いをしました。

ゆっくりと時間が流れる牟岐町で、美味しい食事を囲みながら、牟岐町役場の方々や大西さんとお話をしたり、卓球をしたりと和やかなひとときを過ごしました。

食後には、3日目に開催される「牟岐町で活動する大学生・学生団体発表会」に向けて発表リハーサルを行い、みんなで一年間振り返るとともにより良い発表になるよう調整を行いました。

出羽島散策

2日目の午前中は、出羽島を散策しました。

木原ゼミ6期生で訪れるのは2回目の出羽島でしたが、慣れない船旅に全員大興奮!
ワーキングホリデーで牟岐町に滞在している恵茉さんと、現在牟岐町に訪れているアメリカ出身のジョンさんとともに、散策を楽しみました。

出羽島には、近世から昭和にかけての伝統的な町並みが残っており、普段なかなか触れることのないレトロな雰囲気を味わうことができました。

その後、「出羽島大池」に向かい「シラタマモ」を見に行きました。シラタマモはシャジクモ科に属する海藻で、大池は険しい場所にあるため、大きな岩の上を飛び移りながら慎重に進みました。苦労してたどり着いた景色はとても美しく、達成感を味わいました。

1時間と短い散策でしたが、想像以上に充実しており、普段とは異なる視点で景色を楽しむことや、島ならではの魅力を体感することができました。

都会で生活する私たちにとって、非常に貴重な経験になったと感じます。その後、フェリーで陸地へ戻りましたが、たくさん動いた後に潮風を浴びる時間はとても気持ちよかったです。出羽島で素晴らしい時間を過ごせました。

釣り体験

昼食をはさみ午後から少年自然の家協力のもと、堤防で釣りを行いました。今回は延べ竿というリールがついていない竿を使用しました。役場の方は今の時期はあまり釣れないだろうとおっしゃっていましたが、全員で20匹以上釣り上げることができました。牟岐町の海はとても透き通っていて、堤防からでも泳いでいる魚を確認することができました。

釣れた魚はフグがほとんどでしたが、中には高級魚であるカサゴを釣っている人もいました。

途中で私たちが釣った魚に猫が寄ってきて、釣りよりも猫に夢中になっている人もいました。

ゼミ生の中には釣りをしたことがない人もいましたが、少年自然の家の職員さんが魚についての知識や釣り方のコツを詳しく教えてくださり、みなで楽しく釣りを行うことができました。

小さい魚でも食べることができない魚でも釣れた瞬間は全員盛り上がっていました。

バーベキューと焚き火

2日目の夜は、モラスコむぎで管理人の木村さんを交えてバーベキューをしました。

バーベキューでは徳島県の名産である阿波尾鳥など様々な美味しいごはんを食べさせていただきました。

モラスコむぎの目の前には海が広がっており、冷たい浜風が吹いていましたが、焚き火を囲みながらの食事は話もはずみ、体も心も温まるような時間を過ごすことができました。

また、京都ではなかなか見ることのできない満点の星空や、光の影響で赤く見える水平線から昇る月など、あまり自然に触れることの無い私たちにとって新鮮な発見の連続でした。

牟岐町の雄大な自然を全身で感じ、新たな魅力を再発見しました。

灯閑に立ち寄りました

3日目の午前中は、牟岐探索の時間でcoffee stand灯閑に立ち寄りました。駅前に位置しており、コーヒースタンドや物品の販売を行っていました。

私たちが到着した頃には、コーヒーを片手に居間でお話をされている方や、販売している商品を眺める方などたくさんの人で賑わっていました。

店内を覗くと、以前からお世話になっている牟岐町の方がいらっしゃり、久しぶりにゆっくりとお話をすることができました。

灯閑の2階部分も案内していただき、和室や昔ながらの階段を通じて、どこか懐かしさを感じました。これからの展望としてリノベーションをするお話を聞き、改装後に遊びに行くのが楽しみになりました。

灯閑ではコーヒーを中心とした地域の方々の温かさを実際で感じることが出来ました。

三日間の牟岐町を通して

今までの合宿は日程が詰まっており、牟岐町でゆっくり過ごす機会が意外と少なかったため、今回の合宿はゆっくりと過ごすことができました。

満点の星空をみたり、出羽島を散策したりするなどいつもの合宿よりも自然に触れることができ、リフレッシできたと感じています。

また、今までのゼミ活動ではあまりお話しすることが少なかった方とも交流する機会がありました。街中では「どこから来たの?」「また来てね」と声をかけてくださる方がいたり、久しぶりに会った方に「おかえり」と声をかけていただけたり、初めて会った方でも気さくにお話しすることができたのが印象的です。このような人の温かさが私たちは牟岐町の魅力だと感じています。

また、灯閑というコーヒースタンドをはじめたお話を聞いたり、活動報告会で他団体が活動の人の多さから、牟岐町には人を惹きつける魅力があると感じました。

私たちが初めて牟岐町に訪れた時から変わらない素敵な魅力を再発見しました。まちの魅力をこれからも感じれたらいいなと思います。

木原ゼミ合宿を行いました!!(前編)

京都産業大学現代社会学部木原ゼミ6期生です!

2025年2月13日(木)から2月15日(土)に冬合宿として徳島県牟岐町を訪れました!

3日間の滞在の様子や私たちが感じたことを、前後編2本の記事として紹介します。

今回は、前編です!私たちがどのような活動を行ってきたのかをお伝えします!

木原ゼミとは~R6年度の活動~

私たち木原ゼミは牟岐町をフィールドとし、牟岐町の特産品である「実生ゆず」を使って京都での関係人口創出に取り組んでいます。

今年度は「実際に牟岐に行きたいと思ってくれるほど牟岐のことを好きになってくれる人を創る」を目標に活動してきました。

主に京都のマルシェで実生ゆずを使った商品の販売や、出羽島で取れた貝殻を使ったワークショップなどを行ってきました。

また、私たち6期生の集大成となるイベント「牟岐DAY」では2部制に分けて、実生ゆずを使ったコラボ商品の販売を行った「ゆずマルシェ」、ゆず以外の牟岐町の魅力を伝えるためのワークショップ「つなぐ〜木原ゼミから広がる輪〜」を企画、運営を行いました。

木原ゼミと牟岐町の振り返りとこれからについてのミーティング

合宿1日目。牟岐町に到着したのはお昼ごろ。

到着後少しの休憩をはさみ、牟岐町役場、JA 徳島県牟岐事務所、NPO法人岐キャリアサポート、木原ゼミ6期生で1年間の振り返りと牟岐町の課題、今後のゼミ活動について話し合いました。

はじめに、12月に行った京都でのイベントの振り返りを基に、どのような思いで1年間活動をしていたかを話しました。

次に、実生ゆずの生産量がさらに減っていることを役場の方やJAの方から聞きました。

現在、全国的にゆずの生産が減っており、牟岐町で収穫できる実生ゆずも大幅に減っているそうです。実生ゆずは接ぎ木を行わず自然配合によりできるため、管理が難しく他のゆずよりも大きく生産量に影響しています。牟岐町にとって実生ゆずは食文化の中心であるため、守っていく方法を考えているというお話を聞きました。

お話を聞いて、これまで以上に実生ゆずの価値とおいしさを広めていきたいと感じました。また、実生ゆずを通して牟岐町を応援してくれる人を増やす活動を続けたいと感じました。

そして最後に、私たち6期生から次の7期生への引き継ぎをする際に、伝えたいことを話しました。私たちの1年間で得られたこと・感じたこと、牟岐町の実生ゆずの課題とこれからについて、を共有し、次の世代に繋いでいきたいと思います。

牟岐町活動報告会

今回の合宿メインである、牟岐町を拠点に活動を行っている学生団体の活動報告会に参加しました!

部屋に集まっている人たち 自動的に生成された説明

私たちは、「関係人口」に関係性の濃度においてグラデーションがあると考え、最初は広く浅く、徐々に深い関係人口の創出を目指す活動を行ってきました。今回は、その過程と、一年間の活動内容などを発表しました。

他の団体は、牟岐町の特産品である、もち麦やモリンガに焦点を当てた商品開発や、子ども・教育に焦点を当てた取り組み、建築活動など、それぞれの学部や個性を活かした活動が紹介され、他団体による牟岐での活動を知ることができました。牟岐活動する団体の存在は認識していましたが、活動内容のお話を聞く機会はあまりなかったため、多様な視点から牟岐を学び直す貴重な機会になったと感じています。

発表後はバス時間の関係上、すぐに帰る予定だったため、活動内容についての詳しいお話を聞くことができなかったので、今後牟岐で交流できたらいいなと感じています。

牟岐町でゆっくり過ごした時間

今回の冬合宿を通じて得た学びや気づきを、次の7期生へとしっかり引き継ぎ、これからも牟岐町とつながり続けていきたいと思います。そして、私たちが感じた牟岐町の魅力を、より多くの人に伝え、さらに深い関係を築いていけるような活動を続けていきたいです。

後編の記事では、合宿中の牟岐町での体験をご紹介いたします!お楽しみに!